2012年5月3日木曜日
このブログについて
極東とは随分古めかしい括りですよね。日本ではなく日本語使用者に対しての意味合いを込めています。日本人というと政治的な意味合いを感じてしまう私は自らの表現は日本語しかないという矛盾を抱えたまま表現せざるを得ないのです。では、何故日本人が政治的な意味合いをもつのか。日本も日本人も明治以来、あるいはずっと古く大化の改新以来かもしれない、いや!はっきり明治維新を迎えて以来近代国家製造過程に必須であった運動の為の道具化されたイデオロギーだったし、今でも衰えてはいない。日本語とい言葉だってそうじゃないか?その通り!しかし、消極的選択であろうと、言葉が私と共に光を放つものであれば、何語であろうとそれを選択するまで。近代国家製造過程に必須であった運動の為の道具化されたイデオロギーとはどう言う困った事があるのか?それでは、基盤的思考には向いてない!括りが中途半端に狭すぎて、無理でしょう?
これは右翼も左翼もありません。右翼は60年前の括りが崩壊したことに対する自省を忘れて、責任放棄してしまってるし、左翼は運動の拡大とか過程に気を奪われて成すべきことを忘れてしまってる。右翼は自分の出自の探り方が鎌倉時代あたりの方法と一歩も進展が見られないし、左翼は挫折の言い訳を探し続けることがアリバイ作りになって何もしてないのだ。「極東の星座」は星と星を繋ぎ超新星座を観るのだ!星座を作る志は手を伸ばすのだ!右は右手で結構!左は左手で結構!自らの手をぐいっと伸ばせ!
星座はひとり日本人の枠で輝くものではなく、天を仰ぐもの総てに輝くものと信じます。
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