教育者が考えがちな「イジメの芽を摘む」という発想はイジメに似た現象を早く見付けてこれに禁止とか威嚇をして、イジメの前兆やイジメと類似することをすると怖いことになるぞと云う教育現場の中での恐怖政治そのものは無くさないという発想が全く崩れていないのです。これでは教育者の発想には全く反省の余地が無く、何故イジメが悪なのかの根源的な教育自体を放棄してしまう事になる訳です。教育者は、イジメが集団行動の中で起こっていることに着目し、罪悪感が集団行動の中で益々薄まって行きやすいこと、又多くの傍観者を作り出しているこに気がつき如何に卑劣なことかを早い年齢のときから自覚させ教え込まなければ過去に大人達も陥ってしまっていた過ちを反省し、正しく生かすことは出来ないでしょう。
イジメは大人社会で成立している病理の構造と全く同じです。大人社会の縮図である訳ですから、大人達も集団構造を打ち破れないでひとりひとりもがいている訳ですから。大人達は子供達に自立した行動の仕方の方を教えるべきなのです。いじめる子供もいじめられる子供も立ち入ってはいけない領域があるんだということを教えるべきなんです。
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